Stories~素晴らしきかな人生 (月1回連載)

武士だった父

父が死んだのは突然だった。
父が死んだとき、この人はいったい何人友人がいたのだろう、と驚く数の人が家に弔問に来てくれた。
母や私たち子供が知っている父は、無口で、泣きもしなければ笑いもしない、気に入らないことがあると「寺内貫太郎」のようにちゃぶ台をひっくり返すような人だった。

もちろん自分の価値観に反することを私たち子どもがやると、容赦なく殴ったり物を投げつけるような父だった。
時には虫の居所が悪く、八つ当たりで殴られることもあった。
そんな父に私たち姉妹は思春期にかなりの反抗をした。

だが大人になるにつれて自分たちの心も成長し、父も丸くなってきたためそんな溝は自然に埋まっていった。ただ父が私たち家族に見せる顔と、外に見せる顔が全く違っていたことは変わらなかった。

父は仕事以外にいろんな活動をしていた人間だった。
もちろんその詳しい内容は家族には一切話さなかった。

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ただ時々父が知り合いに話していたことは、たびたび私たち家族を仰天させた。
市長選や市議会議員、県会議員、県知事などの選挙があるたびに父が電話で話した内容は大体こんなことだった。

「今度は俺も警察に引っ張られるかと思った。裏で金を渡していることがばれなかったのは本当に幸運だった」――そんな内容に家族全員が唖然とした。

父の好きだったテレビは「水戸黄門」や「大岡越前」「大江戸捜査網」など勧善懲悪の時代劇だった。
決して面白いことを表情には出さなかったが、私たちが勝手にチャンネルを変えると激怒した。
父は偽物でもワンパターンでも、そういった昔の武士の姿を見ることが好きだったのだろう。

父が急死した知らせを受け、遠方に嫁いでいた私は新幹線の中で声をたてず涙だけを流し続けた。
どんな親であってもかけがえのない親だったのだ。死なれてみて初めてわかった。
やっと実家に着いた私は、父の冷たくなった体に縋り付き、声をあげて泣いた。
周りにいた近所のおじさんたちもみな声をあげて泣いていた。

「信じられない」と一様に口に出し、皆こぼれる涙もぬぐおうとせず何時間も泣いていた。
小さいころから大人という認識しかなく、泣く姿など想像もつかなかった近所のおじさんたちが、まるで少年のように人目をはばからず泣いている。その姿も私にはたまらなかった。

だが私たち遺族は恙なく葬儀を終える役目がある。

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泣いてなどいられなかった。母は気丈に弔問客に頭を下げ続けていた。
私たちも悲しみを必死にこらえ、訃報を聞き駆けつけてくれた幼馴染や同級生たちに「ありがとう」と言い「頑張って」という励ましに何とか応えていた。

だが父の長年の同僚であった「小さいころからよく知っていた会社のおじさん」の弔事に私たち家族は声をあげて泣いてしまった。
「幸平君、幸平君がこんなに早く亡くなったのはひとえに幸平君が他人に嫌と言えなかった性格が災いしたからじゃないだろうか? どんなことを押し付けられようと、すがられれば決して断らなかった。だから幸平君はこんなにあっけなく旅立ってしまったように思う。

何よりも自然を愛し、新緑の今の季節が一番好きだった幸平君。昭和天皇の誕生日が緑の日に変わったことを子供のように喜んでいたね。その4月29日に死んでしまうなんて皮肉という言葉では表現しきれないよ。君は本当にマメで、遠方の知人でも曼珠沙華が好きだったことを覚えていた君は、見ごろになるとわざわざ電話して知らせていたね。

僕たち同僚はまるで一人の侍が死んだように思えるし、大袈裟かもしれないけど殉死してしまった乃木希典のようにも思える。小さいころからスポーツ万能で成績もトップ、そんな幸平君は僕たちの憧れだった。僕は君がいたからこの同じ職場を選んだ。
あとから入った後輩たちも君がいたからこそ、この職場を選んだ人ばかりだったね。みんなが君を慕っていたんだよ。

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君が最後に言ったのは会社の桜の木をじっと見て「桜がこんなにきれいに感じるのは初めてだ」という言葉だったね。

僕には幸平君が桜の花に見える。
春の訪れを告げ周りにいる人間を明るくさせる、咲いた時の見事さ、また散り際の潔さ。どれをとっても君の人生と重なってしまう。

もしこんなに早く逝ってしまうことを知っていたら、君に聞きたいことが山ほどあったのに。僕はそれが残念でならないよ」と言ってその同僚のおじさんはマイクを掴んだまま大きな声をあげて泣いた。

父が外で見せていた顔はそんな顔だったのだ。
私はそんな父の一面を知って、小さいころにとばっちりで受けた拳骨を許そうと思った。

みんなのために桜のように散っていった父。
そんな父を初めて誇りに思えた。
父の葬儀には一般人としては異例の1400人が弔問に訪れてくれた。
セレモニーホールの支社長は「こんな規模の葬儀は僕が経験した中で初めてです」と言った。

父の49日が済み、落ち着いた私たちは父の遺品であるカメラのフィルムを現像した。ほとんど仕事関係の写真だったが、最後の日付の写真は満開に咲き誇る父の職場の「桜の木」だった。

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それを見たとき私は思わずこう言った。
「お父さん。どうしてこんなものを残したの? 勘弁してよ! どうして私たちには本当の姿を見せてくれなかったの?お父さんの本当の姿を知っていたならもっともっとしてあげたいことがたくさんあったのに」

その現像された写真を見て、私たち家族は葬儀の時以上に泣いた。
私はその桜の木の写真を胸に抱き、こう思った。
「お父さん、お父さんは武士だったんだよ。

もうこんな日本にはいなくなってしまった武士だったんでしょ?
だから最後に桜の美しさをカメラに収め、誰が現像するかわからないこんな写真を残したんじゃないの?それとも私が現像するってことを知っていてこんなにきれいな桜の木の写真を残したの?現像するこっちの身にもなってよ。武士のようなお父さんは、この美しい日本を愛していたんだよね?」

父は歴史に名を残すような人間ではなく平凡な一会社員だった。
だが今にして思えば、父は生きることに一つの美学を持っていたように思う。
自分の身体や他人に割かれる時間を顧みなかった父。そのために自分の寿命を縮めてしまった父。

葬儀の際も新聞に小さくお知らせが載る、その程度の凡庸な男だった。
だが父の本当の姿を知る人にとっては紛れもなく「武士」だったのである。

もうあれから10年以上経ってしまったが、毎年桜を見るたびに父が生前決して私たち家族には見せなかった笑顔を見せられるような気分になる。
桜の季節が美しければ美しいほど、私たち家族は父が家族に決して見せなかった「武士」の一面を感じ、せつなくなるのだ。