日本サッカー界の生きるレジェンド・釜本邦茂さん(71歳)
「なんでもいい、なにかをするんだという目標を持つ!」

釜本さんインタビュー1

釜本邦茂さんが東京オリンピック(1964年)・サッカー日本代表になったのは早稲田大学の学生時代だった。4年後、1968年のメキシコ・オリンピックでは、24歳でサッカー日本代表を銅メダルに導き、大会得点王に輝く偉業を成し遂げた。日本が世界に誇るサッカー・レジェンドである。

1月下旬の某日、さる勉強会にゲスト参加された折、お忙しい中インタビューにお応えいただいた。メキシコ・オリンピック当時のお話しから、人生80歳時代に生きるための含蓄あるお話しまで、あれこれと伺った。

 (インタビュー・文/加藤 明)

サッカーへの強い思い

――メキシコ・オリンピックでの銅メダルは、当時のことを思い出しても釜本さんの強い意志による結果と思えて仕方がありません。

釜本:あの頃はオリンピック参加年齢に制限のない時代。僕はちょうど今のU-23世代に近い24歳でしたが、たくさんの先輩の中でやっていました。確かに、その中で勝ちたいという思いは人一倍強かったかもしれない。思いの強さが引き寄せた結果ですかね。

――ドーハでのオリンピック・サッカーアジア最終予選でU-23メンバーは優勝を果たしオリンピックへの参加を決めました。どんな思いでご覧になっておられましたか?

釜本:期待していなかったけれど、尻上がりに調子を上げたね。
ただ、もっと練習しなけりゃダメだと言いたい。シュートも繰り返し練習しなけりゃダメ。ありとあらゆるフォーメーションや場面を想定して練習することが必要だね。自分がそれまでどれだけのことをやってきたかで、決定的な場面に落ち着いて対処できるか否かが決まる。
自分の形になるまで練習しなければだめです。
これでもかというくらいトレーニングして型に収まれば落ち着いてプレーできます。「練習の時にこんな場面があった」と瞬間的に思い出せる集中力と、その漏れをなくすほどの練習が必要です。相手が居ることではあるけれどね。
自分の夢が実現したわけだから、いい成績が残せるよう頑張ってほしいね。

前向きに、ただ前向きに

――メキシコでのご活躍の後、肝臓を病まれました。その後も怪我をされるなど、選手生命を脅かすことが多々ありましたが、常に蘇られました。どんな意識を持たれていたのか伺えればと思います。

釜本:1970年にウィルス性肝炎に罹りました。50日間入院していました。
数値的にはかなりひどかったみたいで「こいつ死ぬんちゃうか」と言われていたみたいで(笑)。中途半端な治し方では慢性肝炎の心配があるけれど、完全に治したらまたサッカーができると言われて、都合3年くらい治療を続けました。
サッカーをやりたい一心で治療を続けましたよ。ただ、翌年の71年には日本リーグと、天皇杯の二冠を獲得しました。

――1982年には、アキレス腱断裂、その後同じ個所をまた痛められました。

釜本:あの時は、もう一度グラウンドに立って「かつて得たものを取り戻せるか」にかけてみようという一心でした。だから身体をピシッと治して「もう一回やる!」と思っていました。36歳でアキレス腱を2度も痛めれば、もう駄目だと思いがちだけれど、「もう一度グラウンドに立って試合がしたい」という気持ちでしたね。1984年、決勝では負けましたが天皇杯という良い場面でグラウンドに立てて。これでもう自分としては満足だと。

大事なのは、目標を持つこと

――本誌『百歳万歳ギャバン』はシニア向けの雑誌です。まだまだ人生の先は長いわけですが、釜本さんは年齢をどうとらえられていらっしゃいますか?

釜本:64、5歳ですかと言われるけど、20歳で東京オリンピックに出たんだから嘘のつきようもない(笑)。だけど歳のことは言わない、考えないようにしていますよ。「歳のことは忘れました」と言うようにしています。奥さんにも「歳のことは気にするな、70歳過ぎたら幾つになってもみんな一緒や」と言われています。

――溌剌とした人生を送る秘訣などありますか?

釜本:事に当たって、己に勝たなければやろうとする目標・夢は実現しないわけで「己に勝つ」ということを、僕は信条にしてきました。ただそのためにも「なにかをする」という目標を持たなければ、頭の細胞も衰えます。モチベーションも下がります。65歳で定年退職し社会から放り出され、家にいれば粗大ごみ扱いされる。それでもやっぱり「なにかをする」ということを見つけるのが、大事な事です。目標を持つことです。

――私共も、シニアの力を結集したいと本誌以外に、インターネット上にサイトも立ち上げ「百歳万歳ライターズ倶楽部」を組織したいと動き始めました。皆さんの目標作りの一助になればと思います。(*募集要項は、『百歳万歳』ライターズ倶楽部とは?へ)

釜本さんインタビュー2

釜本:僕の仲間もシニアのサッカーを一生懸命やっていますよ。「お前も出て来い」なんて言われます。でも、ちょっと怖いかな(笑)。頭の中では昔のプレーが蘇るけれど、身体はついて行かない。怪我したら困るからね。僕以外は皆一所懸命やっている(笑)。
とにかく老け込まないこと。なにをしたらいいのかわからないというのが、老け込む一番の原因でしょう。だからボランティアでも何でもいい、何かすることが大事です。
「百歳万歳ライターズ倶楽部」も、皆さん参加することで、きっと新しい発見や生きる場所が見つけられるかもしれませんね。

■釜本邦茂(かまもとくにしげ)プロフィール

釜本さんインタビュー3

1944年京都府生まれ。日本のサッカー選手、サッカー指導者、参議院議員を経て実業家。このほど「百歳万歳ライターズ倶楽部」のサポーターに就任。日本サッカー協会 (JFA) 顧問。現役時代はフォワードとして活躍、実業団時代の日本サッカーリーグで251試合出場、通算202得点、79アシスト(共に歴代1位)。サッカー日本代表として国際Aマッチ76試合75得点。1968年メキシコ・オリンピックでは7得点を挙げ、アジア人初の得点王に。2005年に第1回日本サッカー殿堂入り。