第2回  わが90年の人生を振り返る

群馬県 三木わかさん 91歳 大正14年生まれ

嫁に来た頃は井戸がなくて毎日本家まで水をもらいに行った

昭和24年に24歳でお嫁に来たの。花嫁衣装でリヤカーに乗って、この家まで来て、ここで披露宴をしたの。両親とおとうさん(夫)と妹が2人の5人家族のところに来たの。

あたしが来たときは井戸がなくて、毎日本家まで水をもらいに行ってたの。

  • 三木わかさんの本家
  • お嫁さんが本家まで「車で」案内してくれましたが、625メートルありました

それで、悪いけど井戸掘ってくれって頼んだの。おじいちゃんと旦那と3人くらいで掘ってくれた。あたしが頼めば大体みんなしてくれてね。

バイクの免許取りたいって言った時も、あぁ行ってきなって。目きり無いの。目の検査だけ。片目ずつ見えたら合格。バイクに乗ってお使いに行くのが楽しみだったの。

2年後に耕耘機の免許取ったの。旦那のリヤカーの、坂道の後押しを頼まれて大変でね、そうだ、あたしも耕耘機の免許取ろうって思ったの。取りたいって言ったら、あぁいいよ、行ってきなって。前橋まですぐ飛んでって。男の人しかいなくってね。係の人に耕耘機なんて乗ったこともないし、取れるかねーって言ったら、「エンジンかけてくれるから大丈夫ですよ」っていうんで、よし、乗っちゃえ、って取ったの。堆肥も稲も運べて便利。乳牛を5頭飼ってて、毎日搾って持ってくでしょ。そうすると、ほれきたでー。農協行くと、おいきたでー。何でそうに言うんですかって聞いたら、女で耕耘機乗ってるんは他にいねーがねって。

辛かったことなど特にない

辛かったことって特にないの。ちっともヤダってのがなかったから、何をしても楽しかったみたい。お蚕は大変は大変、5月20日頃から10月10日ごろまで、3~4回養蚕をしてたの。期間は短いけど忙しいから。寝てからでも夜中に起きて様子見ないと。お蚕が出てたら、桑ぶったりしないと。

  • 3
  • 蚕が桑を食べつくすと白くなって見えているので桑をかぶせる

お蚕様っていって、自分たちよりお蚕が大事で、母屋(おもや)も家中にお蚕を置いていたの。夜の間も窓や障子戸の開け閉めをまめにして、温度管理をしないといけなかった。昔は夜中障子あけっぴろげでお蚕やってても、人が通っても苦にならなかったの。乞食もいたし、夜中でも歩いて通る人がいたけど、平気だったの。昔は今と違って危ないことが少なかったの。

  • ピアノを弾く三木わかさん
  • ピアノは片手弾です。取材時は「ふたり酒」を弾き語りしてくださいました

今は力仕事は無くなったし、何でも世話無いけど、時代が良すぎて、困った時代だと思ってますよ。危険なことが多いから、注意しないとね。発明だって、どんどん出来てきて、ドローンとかわからないものがひょいとできてきて怖いです。いいんだか悪いんだかわからない。いい方に使ってくれればいいんだけどね。

あたし、こんなに生きると思わなかった。知らないうちに90になってた。80になった時、「あれ、もう80、やだ~、こんなに長生きしてるんだ、まぁどうしよう」と思ったの。そしたらもう90っつんだろ。朝目が覚めると、また元気で起きてきたーって、自分で思ってね。

畑も大変になって、今は家で食べる分だけしかしてない。動いてる方がいいんだけど、せがれに「何もしねーで家にいろ」って言われて。90になってから、クレヨン画とピアノで歌うのを始めたの。歌は歌詞を書くから、字を忘れたら辞書を引いて書くの。だから字を忘れない。なんでも楽しいんだから。

89歳で胆石の手術をしたけど若者並みの回復力でした

  • 三木わかさん
  • お嫁さんによると、独身の孫娘さんもちゃんと煮干し粉を使っているそうです。インタビュー時は90歳でしたが、今は91歳で、まだまだお元気なわかさんです

去年89歳で胆石の手術をしたの。若者並の回復力だって、お医者に言われたの。膝が痛くなった時も、年だから仕方ないって言われたんだけど、骨を丈夫にする薬を一回飲んだら、治っちゃったの。腰もそう。あたし、薬飲むとすぐ治っちゃう。

こんなに元気なのは、煮干し粉をずっと使ってきたからだと思うの。煮つけにも汁物にも、白菜漬ける時も入れるの。だからこんなに丈夫でいられるんかなと思う。昔は夜は毎日煮込みうどんだったの。おつゆのだしは煮干し粉。それで知らず知らずのうちに元気になってるんだろうと思って。娘たちが結婚する時も、煮干し粉を使うように言ったの。だから孫娘が結婚したら、使うように本当は言いたいけど、今の若い人が聞いてくれるかどうか。便利なのがいろいろあるからね。だけど、煮干し粉は入れるだけで手間がかからないから、使ってくれるといいんだけど。

(インタビュー・文/石原昭代)